<コラム>大統領選になると、農業が急に「発見」される不思議

コロンビアに来て、もう4度目の大統領選挙です。
毎回この時期が近づくと、農業が突然「発見」されるかのような錯覚に陥ります。普段は忘れられているのに、選挙前だけ脚光を浴びる。
オリンピックイヤーだけ実家に顔を出す親戚のような扱い。果たしてこれでいいのか? いいわけがない。
2026年の大統領選、現職のグスタボ・ペトロ大統領は再選できません。でも、「誰が次をやるか」以上に「これまでの路線をどう扱うか」が問われている気もします。
数字だけ見れば、農業は文句のつけようがありません。2025年、農業・農産品輸出は前年比50%前後増。GDP成長率でも農業部門は約7%と、他産業を軽々と追い抜きました。統計だけ眺めていれば、「この国、農業で食べていけるのでは」と勘違いしそうになるほど。
ところが、地方に行くと、その錯覚はあっさり壊れます。農家は豊作でも浮かれません。
理由は簡単で、儲かっていないからです。
付加価値は川下にあり、農村には残らない。輸出が伸びても、現金は中間業者と都市部を往復するだけ。この構造は、どの政権でも「問題だ」と言われ続け、どの政権でも「そのうちやる」と言われ続けてきました。
ペトロ政権は、農地改革と小規模農家支援を掲げました。方向性は正しく、理念も立派です。ただし、実行は別問題。コロンビアでは、法律が通った瞬間は「スタート」ではありません。「予定表ができた」くらいの意味合いで、簡単に反故にされます。
そして今、選挙。左派与党からは、複数の候補者が名乗りを上げています。
元大臣、元活動家、元象徴。農村インクルージョン、環境配慮、社会正義。
どれも間違ってはいません。
「それで、来年も続きますか?」
この一言に、きちんと答えられる人は、まだ見当たりません。
一方、右派・保守系候補は、わかりやすい言葉を使います。
治安、秩序、投資。農業投資において、治安は理念ではなく利回りです。
夜に畑へ入れない地域。泥棒や強盗に怯える場所に、長期資本は入りません。
この点では、彼らの主張は現実的です。
もっとも、社会的配慮は後回しになりがちです。
農業は「ビジネスだから自己責任」と言い切れるほど、単純ではありません。
中道・テクノクラート型の候補が出てくれば、市場は歓迎するでしょう。
派手な改革をしない。急に制度を変えない。
農業ビジネスにとって、これは最大の美徳です。改革よりも、変わらないことが価値になる場面も多いのです。
選挙が近づくと、候補者は必ず農村を訪れます。
長靴を履き、コーヒー豆を手に取り、写真を撮る。
この儀式は、どの陣営も欠かしません。
農家さんも慣れたもので、誰も本気では驚きません。
彼らが見ているのは、為替がどうなるか。設備投資の値段が下がるか。銀行が農村に金を出すか。つまり、写真の後です。
農業ビジネスにとって、大統領選は契約条件が、黙って書き換えられるタイミング。この選挙で、「数字だけが立派な農業」を続けるのか、「現場と資本が噛み合う農業」に進むのか。
答えは、演説にもマニフェストにもありません。
次の収穫期、畑が沈黙するか、少し饒舌になるか。
それが、この国でいちばん正確な出口調査です。

